日本で医学と言えば、漢方もありますが、まずは西洋医学ではないでしょうか。しかし現在の西洋医学は比較的最近のもので歴史としては300年ぐらいしかありません。
えっ!? それじゃ、それまではどうしてたの? と思うかもしれませんが、17世紀末までは古代ギリシャの理論に基づいて医療が行われていました。

その古代ギリシャの理論の元になったのが、2世紀のローマの有名な医師が提唱した『ガレノス派』医術です。

ガノレスは、西洋世界で最も大きな影響を及ぼした医師と言われ、小アジアのペルガムム出身の医師で、医学の父ともいわれたヒポクラテスの考え方の多くに手を加えて「4体液の理論」を作りあげました。そして中世ヨーロッパやアラブの古典的な医学教本となり、現在イスラム世界の多くで受け継がれています。

ガレノスは、裕福な建築家アエウリウス・ニコンの息子として、ペルガモンで生まれ、彼の関心は、農業、建築、天文学、占星術、哲学など多岐にわたっていましたが、最終的には医学に専念することになります。

5世紀にローマ帝国が崩壊すると、学問の中心はヨーロッパからアジアへ移り、ガレノス派医術の研究もローマに変わり、コンスタンティノープルやペルシャに移っていきます。そしてガレノス派医術は、マホメットの時代に熱心に取り入れられ、アラブの優秀な学者たちによりハーブの知識やデントと混じり合った医術となり11世紀~12世紀にスペインを侵略したアラブ軍によりヨーロッパに逆輸入される形で入っていきます。

11世紀にはいると、モンテ・カッシーノの修道士だったコンスタンティヌス・アフリカヌスなどによってイスラム医学のテキストがアラビア語からラテン語へと訳されるようになりました。ラテン語に翻訳され再度ガレノスの説が西欧にもたらされることとなり、ガレノスは西欧でも医学の正典となっていきます。やがてサレルノ大学やモンペリエ大学、パドヴァ大学といった医学で知られる大学で教えられ、ガレノスの権威は16世紀までの西洋医学を支配していくことになります。

「ガレノスが全てを書いてくれていた」とされ、解剖学の実践は停滞したし、瀉血は標準的な医療行為となった。こうした権威への最初の真摯な挑戦を行ったのが、16世紀の解剖学者ヴェサリウスである。

アラブ人は東洋原産のエキゾチックなハーブやスパイスを多用し、ヨーロッパの薬種に追加されていきました。サフラン、クローブ、ナツメグ等は、アラブ人医師により紹介されたものです。

今日、ガノレスの理論はイスラム世界において、ティブあるいはユナニ医学として知られていて、現在でもイスラム世界の医学の主流になっています。

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